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今月のエッセイ

『養老渓谷で鮎をつる』浅井粂男




 もう15年も前になるだろうか。
私は趣味で続けていた鮎の友釣りのメインフィールドを千葉の養老川にきめて通いはじめた。

 生まれが愛知県は三河地方の山奥で矢作川の上流の小さな集落なので渓流釣りは幼いころから親しんできたが、鮎の友釣りをおぼえてからは、その面白さに魅かれて、かれこれ40年近く続いたことになる。
その間、生活に追われてとぎれとぎれではあるが、関西から東北地方の川に足を運んだ。
我流ではじめたことなので一向に腕は上がらなかったが、清流の美しさ、若鮎の爽やかな香りと味を充分堪能させていただいた。

 地方には素晴らしい川があって、シーズン中釣りを楽しみたくて住まいまで移してしまうほど好きな人がいるものだが、私が千葉へ引っ越してきた時は選択を誤ったとがっかりした。
千葉の川は川底が泥っぽく粘土質で鮎の餌になる藻も付きそうにない、平地を流れるので鮎の育つ清流もなさそうだ。
こんな川ではかりに鮎がいたとしても釣って食べる気はしない。
そんな風に思っていた。

   ところが大多喜町の奥の県道を車で走っていて、ここにアユを釣る人がいることに驚いた。
その川は養老川といい、清澄山の北側を水源に市原市を蛇行して東京湾へそそぐ中程度の大きさの川で、大多喜を過ぎ市原市へ流れ込むあたりから川幅が広がり、流れがゆったりして、水も濁ってくるが、上流の渓流は全く違った素晴らしい清流になっていることに気づいた。
翌日さっそく、昔とった杵柄 で休んでいた道具を取り出し、仕掛けを作って釣行に及んだ。

 私はやはり先入観でこの川を見下していたかもしれない。
千葉にもこんなに素晴らしい鮎の川があった。
谷が深く川は小さいが、大きな岩盤をめぐって流れる水は澄んで冷たく、底石も適当で、なによりも釣れてくる鮎がすばらしい香気を放つ。
おまけに釣り人は少なくのんびり釣りを楽しむことができた。

 もう60歳も半ばを過ぎ遠い他県へ車での遠征は無理とあきらめていたので、こんな素晴らしい川が住まいの近くにあることがうれしかった。

 谷が深いので朝霧が晴れるまでは河鹿の声を聞きながら、ゆっくり釣り支度、日が昇り始めると鮎も動き始める。
そっと竿を出せば早速最初の野鮎に巡り合える。
あとはのんびりと何もかも忘れて1日を楽しむことができる。

 7月に入れば山々は日ましに緑を増し、まわりに人家がないので聞こえてくるのは川のせせらぎだけ。
小鳥も多く運が良ければオオルリにも会えるかもしれない。
日中になればわざと腰まで水につかり暑さやり過ごす。
川が小さいので夕方までねばってもそんなに疲れた感じはない。

 現在はもう鮎釣りからはすっかり足を洗ったが、あの養老川の素敵な自然環境は、私の未練がましい釣りの趣味を、穏やかな気持ちのままに、静かに終わらせてくれた。
今でもシーズン中は遠回りしてでもこの道を走り釣り人がいると車を止め、なつかしく、しばらく腕前を見させてもらうのが楽しみだ。

養老渓谷

養老渓谷


浅井作品

養老川の鮎