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今月のエッセイ

『ワタヤ・ノボルについて』津田翔一


「じゃああなたはいったいどこを探したのよ」と妻は言った。
「あなたはあの猫をみつけようとなんかしてないのよ。だから猫はみつからないのよ」
―― 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」(第1部 泥棒かささぎ編)



 いつもお腹を空かせている野良猫が数匹、家に寄りついている。爪を研ぐせいでいつの間にか床が傷だらけになっていたり、 目を離した隙に机の上に乗ってお皿の中の残り物を食べていたりする。
 どの個体にも名前はない。
 名前を付けたり、写真や動画で残したりすると、そうしない個体に比べて、いなくなってしまうのが早いからだ。
 それはただ単にその個体に思い入れが強すぎて、意識しすぎているというだけだ、ということは言われなくてもわかっている。
それだからこそ、名前も写真も動画も残さないし、描くこともない。
 添付した絵は、家で生まれた子猫だが、これを描いた直後にいなくなってしまった。
親猫に間引かれたのかもしれない。
そんなのは偶然?ごもっとも。
 岡田亨(おかだとおる)と岡田久美子(おかだくみこ)は、猫に妻の兄の名を付ける。
岡田亨がこの世で最も憎んでいる人物、ワタヤ・ノボル。
 家に寄り付いている野良猫を「外猫」と呼ぶことにしよう。
 外猫は、気が付いたときに傍にいて、いつの間にかいなくなっている。
 名前をつけたり写真を撮ったり描いたりしていた頃は、それがとても悲しかった。
 今は、それが猫なのだと受け入れている。
 家の中で責任を持って飼わないで、適当に餌をあげてかわいがっているだけでは、いなくなっても文句は言えない。
 ワタヤ・ノボルも岡田家に寄りついている外猫だ。物語が始まるよりも前にすでにいなくなっていた。
 妻は断続的に電話をかけてきて猫の行方を尋ねる。不可解な人物が訪れて、「これは見た目(単に猫がいなくなったということ) よりはもっと長い話になるのでは」ないかという。その通り、書き手自身を飛び越えて物語は肥大化し続けた。

<もっと長い話>という表現は、見渡すかぎり何もない平らな荒野に一本だけ立った
高い杭のようなものを僕に想起させた。
太陽が傾くとその影がどんどん長く伸びて行って、その先端は肉眼ではもはや見えなくなってしまうのだ。
――村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」(第1部泥棒かささぎ編)


 作者は作品の下準備、プロットを作らない。
「台所でスパゲティーをゆでているときに、電話がかかってきた」とい うフレーズが浮かんだので書き始めたらいつのまにか3部作になっていたという。
収拾がつかなくなっただけ?いやはや、ごもっとも。
 毎日毎日書いていたら、いつの間にか書いているものに書かされている。
 作者自身がこう述べている。
 
僕は、主人公である岡田亨が涸れた井戸の底で行ったのと同じような、『壁抜け』
ができるようになった。早朝に起きて机の前に座る。そして小説に意識を強く集中す
る。そしてやがて僕は物語の中にいる。そして作家として物語を考えるというより
は、むしろ観察者、同行者として物語の中に ついていく という状態になる。
―― 村上春樹「村上春樹全集5」p423


第3部の76ページ(※文庫版)あたりで、猫が帰って来る。「何かのしるしみたい」に。
いつだったか、第3部についての感想は私にこう書かれた。

「第三部は、スペインの画家ディエゴ・ベラスケスの「ラス・メニーナス」という作
品を思い起こさせる。①笠原メイの手紙は、読み手に届くこと。②物語の中で物語ら
れた物語が、物語を物語る(シナモンとナツメグが紡いだ物語=ねじまき鳥クロニク
ル)。読み手は、自分がどの物語を読んでいるかわからなくなるし、主人公の岡田亨
であるようにも思える(なぜ、笠原メイの手紙が読み手に届くのか?)。三人称や現在
形で書くなど、「アフターダーク」や「1Q84」など現在に繋がる新たな試みもみられる、村
上春樹の最高傑作。」
          

 しかし、冷静に読めば、これはただ単に妻に逃げられた三十路の専業主夫の話なのだ。
綿谷ノボルの言葉を借りれば、「クミコは君に嫌気がさしてほかに男を作り、その結果家を出て行った。
そして離婚を望んでいる。不幸な顚(てん)末(まつ)だとは思うけれど、まあよくある話」だ。
それなのに、岡田亨は「いろんな奇妙な理屈を次から次へと持ち出して、ひとりで事態を混乱させてい」る。
 仕事を辞めて専業主夫になった三十路の男に奇妙な電話がかかってきて、妻に(職よりも?)猫を探してくれといわれて渋々探して、奇妙な人達に出会 い、様々な物語を内部に含みながら肥大化していくその畝(うね)りの中で、作者自身がクミコを探し続ける。
もしかしたら死んでしまったのでは?
 そういえば猫は?あの猫の名前は………物理的な居場所ははっきりする。そうして、猫は岡田亨に還されるのである。 元気で「傷一つな」く。

まず良いニュースから。今年の春に、猫が突然戻ってきた。ずいぶんやせてはいたけ
れど、元気で傷一つなかった。それ以来猫はどこへもいかずに、ずっと家に居ついて
いる。本当は君に相談しなくてはいけなかったんだろうけれど、勝手に新しく名前を
つけた。サワラ。僕らは二人でけっこううまくやっている。これは良いニュースだ
ね、たぶん。


――村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」(第3部 鳥刺し男編)
(※引用文内、強調および下線部筆者)