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今月のエッセイ

『ラスコー展でふと考えたこと』原田篤










今年の冬、上野の国立科学博物館でラスコー展が開催された。
非常に楽しみにしていた展覧会だったので、結局2回足を運んだ。
展覧会と言っても実物の壁画が見れらるわけではない。
ただ、洞窟内の岩肌や絵そのものが見事に再現されていて、まるで実際の洞窟内にいるような感動を覚える。
ラスコー壁画は、今から2万年ほど前にクロマニョン人によって描かれたとされている。
ご存じの方も多いと思うが、それを偶然にも発見したのはなんと少年たちだった。
1940年のことである。戦争が終わると世界中から見学者が押し寄せた。
そのために洞窟内の環境は一変し、壁画の変色、損傷が著しくなったことを受け、ついに1963年に閉鎖、さらに2001年8月以降は壁画見学が許可されることは一切なくなってしまった。

この壁画は当初、当時のクロマニョン人が洞窟内で生活していた所に描かれたと思われていた。
実は私も勝手にそう思い込んでいた。
ところが実際は、彼らは洞窟のほぼ入り口辺りで生活しており、壁画はその遙か奥にずっと広がっている。
3つの長い空洞によって構成され全長200mにもおよぶ。
当然、洞窟内は漆黒の闇が支配する世界であり、危険も多い。
にもかかわらず、匙状の石製ランプで獣油を灯し、かなりの年月をかけてこれらの壁画を描いた。
特に入り口からほぼまっすぐ伸びる「牡牛の広間」、「軸状ギャラリー」と呼ばれる場所は、壁面上部から天井まで動物たちが見事に描かれ、まさにミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂を彷彿とさせる。
いわゆる神殿のような場所だったのかもしれない。しかしながら、それらが何ために描かれたのか、何を意味するのか、正確なところは分からない。
ただ、2万年後の我々に何かを伝えるために描かれたわけでないことだけは確かである。
とは言ってもこの先史時代の壁画の魅力は、2万年という時を経て当時の人間と今の私たちとが繋がっているという、言葉ではどうにも表現できない感動を与えてくれる現実である。
彼らは身の周りの動物たちを描き、そして今この自分も同じように動物たちを描いている。目的は違えども、彼らと私はとてつもなく微かだが繋がっている。

そんなことをあれこれ考えていると、ふとある疑問が涌いてきた。
仮に今の私たちが2万年後の人類に対して何らかの視覚メッセージを残そうと考えたとき、果たしてそれは可能なのだろうか?
キャンバス、板、そして紙、どれもまず残るまい。
ならば全く同じようにどこかの洞窟に描くしかない。
どこがよいか? …格好の場所があった。「オンカロ」である。
もともとフィンランド語で「洞窟」を意味するらしい。
2020年から廃棄物の貯蔵を始め2120年に完全閉鎖の予定だという。
そして廃棄物が無害となり再び開けられるのはなんと10万年後である。 ラスコー壁画が発見されたのが2万年後だからその5倍、途方もない数字である。
果たして人類は存続しているのだろうか?
存続すると仮定して、では一体何を描けばよいのだろうか?
その前に大事なことが一つあった。この極めて危険な洞窟を、絶対に10万年間開けるなと伝え続けなければならないということである。
言葉はあてにならない。
ほんの2、3百年前の言葉ですら、一般の私たちは読むことも理解することもままならない。
ましてや10万年後の人間に言語でどうやって伝えられるというのだ
。 やはり絵しかないのかもしれない。
そして描くべきテーマは、難題だが自ずと決まってくる。
―なぜ10万年間この封印を解いてはならないか、である。それは、20世紀から21世紀にかけて生きた我々人間がどんな幸福を求め、そして何に最も怯えていたか、を描くことに他ならない。
そうだ、その絵は貯蔵用の洞窟ではなく、全く別の簡単に見つけられる洞窟に描かれる必要がある…考え出すと意外とキリがない。
暫し勝手な想像は続くのであった。