今月のエッセイ
『かざはな』関口猪一郎

「かざはな」とは雪季の空気が乾燥して痛い程引きしまった中をどこからともなく風に乗ってヒラーリヒラーリと舞って来る雪片のことである。
70年も前に故郷の雪季に祖母と母が白い息を吐きながら「今日は『かざはな』が舞ってきた」などと会話をしていた事が思い出される。
かっての時代は谷地等を拓いて作った棚田は年中水にぬるんだ湿田だったので、水田に生きるドジョウやカエル、タニシなどの水生生物を主要な餌と
していたトキ達は冬季は苦労だったと想像できる。
そして今日の稲作も機械化され、秋の収穫季には作業のために田の水を切って乾田としたので・・・。
佐渡では飼育したトキを自然にかえす活動をしている人々が湿田で稲を育て、ドジョウ等の餌を補給する活動に励んで居られるので、やがて山野の中で放鳥されたトキたちの活動が期待される。
私が新潟県の県鳥であるトキに強い関心を持ったのは、子供時代に農作物を荒らす害鳥を追う「鳥追い」の行事で歌った「鳥追い唄」にある。
故郷の小正月、1月14日の夜から15日の朝に、降り積もる雪の村内を子供たちが集まって拍子木を打ちながら古くから伝えられた「鳥追い唄」を歌いながら回る行事である。
その歌詞の中に「ドウとサンギ、スズメ、スワ鳥、皆んな立ち上がれホーイホーイ!!」とあり、ドウがトキを表す地元名である事を後に、トキの保護と生態の観察に尽くされた佐藤春雄氏等の著書によって知った。
50年程前の事である。
その伝統行事も過疎化になって子供が居らず取りやめになったと知人から伝えられた。
桃花鳥・鴇・鴾・瑞鳥・豆木・紅鷺・稲追鳥・鎌鷺・ドウ・タウ・タオ・トオ・ダス・ハナクタ等々、一種の鳥がこのように多くの呼び名とあて字で国内各地で親しまれたトキも明治に入り狩猟等によってその数が少なくなる。
大正、昭和の戦中に関心を持たれず戦後に至り絶滅されたのではと心配されたが、佐渡と能登に少数の生存が確認され国際保護鳥に認定され、佐渡にトキ保護センターが作られ、国と研究者、飼育関係の方々のたゆまぬ努力により純国産種は絶滅したが中国より移入された同種のトキの繁殖が成功し、地元佐渡の人々の協力で山野に放鳥され、その華麗な飛翔を幻の鳥でなくTV映像、新聞、出版等の報道により形、色彩、生態を知る人々も多くなった。
作画を思い立った60年前の頃は資料になるものも少なく、写真は白黒で色彩も不明。科学博物館のはく製は年代によってか肝心のトキ色も抜け、作られた顔面も不整形で形全体は白色レグホンの様でがっかりした事が忘れられない。
昔、トキは2種類いるとかメス、オスの違いである等いろいろ意見があったが、飼育関係者等の察と努力によって繁殖期になると自らの頭部や首から灰色の色素を出して体にこすりつける行動をすることがわかった。