今月のエッセイ
『隅田川慕情』佐藤忠雄
相変わらず作品制作に追われる日々が続き、既に想像力の枯渇した頭からなんとか絞り出すような創作活動が続いている、
自然の中に分け入り何でもいいからインプットしなければと思うのだけれどそれができる状況になってくれない、
多少無理をすればどうにかなるかもしれないが、その後の反動を考えるとそれなりの覚悟が必要だ、
そんな状況の中なんとか体力的、精神的安定を維持するため朝夕の散歩は欠かさないようにしている。
隅田川の汽水域、しっかり整備された遊歩道を30分程度歩きいつものベンチで一休み、仕事を一区切りつけたあと夕方の
散歩のときは健康的にジョギングする人や犬の散歩をさせる人を横目に缶ビールなど飲みながら夕日にきらめく川面を眺め、
行き交う鳥達に季節を感じ水の中の生き物達の気配を探す、束の間安らぎの時である。
そして薄暗くなる頃釣り竿を持った怪しげな人影を見かける季節がやってくる、この辺りでは、だいたい2月頃から5月連休
のあたりにかけて釣り師のあいだで「バチ抜け」と呼ばれている現象を見る事が出来る、「バチ」とは砂の中に生息するゴカ
イ類などの総称で、それらが産卵のため砂の中から這い出し水面をせわしなく泳ぎ回る状況をバチが抜けたと言ってそれを狙
って寄ってくるスズキを狙う。ただ様々な条件がそろわないとその状況にはならない、だいたい潮が大きく動く大潮の終わり頃、
夕方に潮が引き出すような日が狙い目になる、ゴカイに似せた疑似餌をゴカイの泳ぐ速度にあわせ水面近くを引いてくるとバ
シャとスズキが食らいつくスリリングな釣りだ。
しかし隅田川の河口で整備された変化の少ないところでポイントを定めるの
は意外と難しいが毎日の様に眺めているとなんとなくわかるようになるものだ、見当違いのポイントにいる釣り師を見ると
そこじゃないんだよなあと言ってあげたくなる。
ときには、変わった場面にも出くわす事もある、薄暗くなった頃いつものように川沿いのベンチでビールを飲んでいると、
私がこの辺り一番のポイントと思っている場所に近くの公園に住まいを構える見覚えのあるおじさんが現れた、そしてしばら
く川に身を乗り出し右手に何かを持って水面にかざすようにしている、するとほんの数分後いきなり右手を大きくあおると同
時に体ごとあとずさりさせた、なにがおこっているのかわからず凝視していると水面から勢いよく魚が引き上げられたではな
いか、45センチ程度のフッコサイズのスズキである手にしていたのは釣り糸だったのだ、おどろいた顔をしている私に得意
げな目で一瞥し何も無かったかの様に獲物を脇に抱えそそくさと公園の方へ姿を消した、みごとである。
しかし火を使えない公園でどう調理するのだろうか刺身包丁まで揃っているとは思えないのだが、想像してしまう。
身近な所でも様々な生き物達の営みを見る事が出来るものだ。
