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今月のエッセイ

2012.3.22 『いつの間にか年ばかり重ねて』藤田正純


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 いつの間にか年ばかり重ねて、つい先ほどのこともボケてしまい、昔の記憶ばかりが鮮明ですから始末が悪い。福島市の藤井旭さんから「我が家の放射線値は高めなので結局、芝生を全部はがしました。大ゴト・大迷惑で、原発には弱ります!」と天文現象カレンダーに加えて「日食めがね」を受け取り、うかつにも初めてチロ天文台が今回の被災地の真っ只中にある事実に衝撃を受け、すぐにも福島へと思い立つ時、自分の老体を忘れた粟手振りを反省。かえって足手まといの迷惑を考え立ち往生。現在の理科美会員には梶田さん、西里さん、四本彬さんが離れて、少し傾向も変わったように思いますので、天文ファンの後継者にも呼びかけたいと思います。

 そこで天文ファンならば、多分どこかで馴染んだと思われる藤井旭さんのことを少し紹介してみたいと思います。藤井旭さんは、天文ファンなら知らない人がいないほど天文に関する出版物「星になったチロ」(ポプラ社)で有名な白河天体観測所を拠点にして生涯をかけた幅広いか活動をしています。いかにも藤井さんらしくだまって日本を脱出してオーストラリアに完成した「チロ天文台」へ。おそらく南十字星や大小マゼラン星雲など北半球に住む天文ファンたちがあこがれる南半球の星空のもとで、他の星仲間たちと一緒に楽しんでいらっしゃるに違いないと想像しています。

 長生きをすると、さまざまな人々の「運命」や「宿命」の不思議さをいみじみ考えさせられます。私は藤井さんの「宇宙大全」(作品社)という代表的な出版で声をかけられ少し協力をして以来、何かとご連絡を頂きました。私にも山口(長州)の血が流れていますが大和では、おろおろ「よそ者」で育ちました。藤井旭さんは驚くほど従順で導かれるまま素直に行動するため、神に愛されて運命が開くように見えます。オーストラリア「チロ天文台」の実現も、今日のために引き寄せたと解釈できるほどです。人間が自覚する「理性」は、ごく一部の表層界。ポアンカレが彼の著書「科学と方法」の中でノーベル賞の対象となった確信の理論体験を述べています。英語serendipityは、その現象を指してるようです。近代世界はゲーテのような叡智を出していません。

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し。」

という空海(弘法大師)の「秘蔵宝鑰」は根源的な絶対無明世界を開示。千古の謎とも言われた「人間存在の意義」がこの地上に顕現、約束された「新しい天と新しい地」がまさに現れようと切迫。十代・二十代の若い女性たちが躍動する姿は、何よりも雄弁に新世紀の夜明けを証明するもの。彼女達こそ、」もう「新しい天と新しい地」に生活する新人類として既に既に、この地上世界に生存させられているからです。
 米国主導の経済指標は、経済活動の結果として現れる数値です。現状の瞬間値を計測すれば経済総体を把握できるという逆立ち経済理論のために、グローバル化経済変動という新しい世界の波へ適応「脱皮」できない統治は、いつまで耐えるでしょうか。

 法治国家は、大逆事件のような処刑を行う暴力・権力・司法を一手に握っています。

 写真で紹介する「星になったチロ;犬の天文台長」(ポプラ社)は、2002年に発行の「星になったチロ」の新装版です。そして、北海道犬のチロと藤井旭さんの出会い、天文学者でもないイラストレーターとして仕事のかたわら、星仲間たちがガヤガヤ話しているうちに「白河天文観測所」という本格的なすごいドームができあがってしまう。

 藤井さんと「まんじゅう屋さん」との出会いも面白い。「うまいなぁ、うまいなぁ、」を連発して何個もパクつく藤井さんを「そんなに饅頭が好きなら、社員にしてしまえ」と旅の途中の藤井さんは社員にされてしまい、平和な「饅頭つくり」もいいかなと居心地の良さそうな饅頭屋さんに、そのまま住み込んで、広告や包装紙のデザインをしながら五年間の修行も失敗に続き。ある日、東京の星仲間から「この三月にあるアメリカでの皆既日食を見に行かないか」の誘いに動かされ、饅頭屋さんに「旅立ち」とお別れの挨拶をします。饅頭屋の社長さんは「うむ」とうなづき、「新しい饅頭ができるたびに声をかけるからね、試食においで・・・」と、送り出してもらったことが天文台の始まり。

 北海道犬のチロとの出会いと活躍については「星になったチロ」を読んでいただけたらと思いますので、ここでは「出会い」という不可思議で奥深い現象のお話をします。
アメリカという超巨大国家は、古代ローマ帝国を遥かに凌ぐ、地球を何度も抹殺できる軍事力と、無人ロボット機を本国の基地でゲーム機のように操縦しながら、世界のどの地点でも目標の人物を識別特定して殺すことを実行しているらしい。相手が反撃できない技術力をアメリカが持ち続けることこそ、神から与えられた崇高な使命だと確信している信仰心です。世界中のどの国家も信用せず、自国の軍人も政治家も、企業の職員も信頼せず。暗証番号と認証カードだけが動かす「スーパー・デジタル国家」のシステムは無機質なSF未来小説のように黙々と動いているのです。
「バベルの塔」の話にあるように、人間はすぐ思い上がって神を超える能力を持っていると錯覚、宇宙を吹き飛ばすような、とんでもない危険をやらかす懸念から、人間どもの言葉を乱して会話が出来ないようにする。言いかえれば「タテ構造」が別立する官僚機構や学問構造に分解し、何千年も昔の旧約時代に早くも「近代思想」の難点を予測しているとは驚くべきこと。議会の不毛な論戦は何も解決しないし、全身もしない、日数と費用を消耗するだけという「ことの本質」を旧約聖書はみごとに予言しているのです。

 ブータンの王様が来日され、大震災後の私たちとの「出会い」は本来の日本人の心を鷲づかみに、揺り動かされたのは私だけの感触だったでしょうか。私たちが本当に求めている「幸せ」とは何でしょうか。お金でしょうか、名誉でしょうか。勲章でしょうか。 チャップリンの「人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー」という言葉には、ロンドンで両親とも芸人のユダヤ人の子として生まれ、母の代役として五歳で初舞台という、見にしみた体験から絞り出された真実性を感じる。シェークスピアの「ヴェニスの商人」で表現された「シャイロックのイメージ」が永く流通していたヨーロッパ社会。生きる意味を尋ねて旅をした裕福な画家ゴーギャンとは違う。