理科美トップ > 今月のエッセイ

今月のエッセイ

2014.7.1 『~クモの話~』たぐち としかず


                                          

たぐち




数年前の夏、仕事の先輩数人と島に渡った。
20年以上も前から何度となく海水浴で訪れている島でそこそこ土地感もある
興味をそそるような観光名所はないがはきれいな海がある。
東京からそう遠くはないのに美しい魚に会える。
そんな島である。
いつも「今月は休みが合うから島に行くか」という感じで計画が立ち上がる。
この年の場合さらにギリギリで、1週間前に計画が持ち上がった。
当然のことながら宿の手配には苦労し、あまりなじみのない地区に宿泊する
事となった。

この日はあいにくの天気で、海水浴とはいえ陸に上がってまで濡れるとあっ
ては落ち着かず早めのチェックインとなった。
食事を済ませ、露天風呂に入り、「島名産の牛乳を使ったアイス」まで堪能し、
まったりと談笑していた時
コンコン…
扉をたたく小さな音
結構遅い時間である。こんな時間に訪問者?ちょっと気味が悪い。
あるいは遅くまで騒いでいた事への苦情かしら?
いずれにしてもあまり応対したくないシチュエーションである。
こんな時後輩という立場はつらい。
「はいはい、今開けます」
廊下の薄暗がりに小柄な若い女性が立っていた
「夜分遅くスミマセン。隣に宿泊しているものですが…。声がしていたので…」
やはり苦情か?!
「実はクモがですね…」
「は?クモ…?」
要約するとこうである。
  風呂から上がり、さあこれから寛ごうとした矢先自室に蜘蛛が現れた。
  フロントに相談をしようかと考えたが時間が時間のため明かりが消えている。
  もしかしたら寝ているかもしれないので呼び出すには忍びない。
  途方に暮れていたら隣室から声が聞こえた。
  男性だったら蜘蛛くらい退治をしてくれるに違いない。と…
「分かりました、ちょっと用意してから行きます」
パンツ一丁で行く訳にはいくまい。
「なんだって?」と先輩。
「蜘蛛が出たんだって。ちょっと行って捕まえてくる」
「蜘蛛が怖いなんてかわいいねぇ。おっと、これ持ってけよ。さっきのアイスの
カップ」
私も蜘蛛は好きではない。できれば触りたくない。

カップを片手に廊下に出ると先ほどの彼女が待っていた
「さあ、行きましょう。私の友達が蜘蛛を見張っています」
隣室に入ると別の女性が壁の一点を見つめてじっとしている。心なしか空気が張
りつめている。
「アレです。さっきから動いていません」
「どれ、このカップを被せておわ…!!!」
何?アレ?デカい!!ここ日本だよね?こんなカップに収まらないじゃん!!
俺の掌くらいあるよ!!
一瞬で頭がパニックに。
「どうです?何とかなりますか?」
何とかしなくちゃなりますまい。
意を決して一歩踏み出すと、気配を察したかのように蜘蛛が動き始めた。しかも速い!
するりとエアコンの裏に隠れて見えなくなった。
さてどうしたものか?
まず足場が悪い。応接セットの椅子に乗って背伸びをしても天井まで手が届かない。
部屋に備え付けのゴミ箱を使えば捕獲できるが、エアコンまわりでは大きすぎて役
にたたない。
広い場所に誘導したいが部屋の四方に鴨居が巡らせてあり、万が一ここに入られた
らお手上げである。
あとこの部屋で使えそうなものは…「!」
「部屋に殺虫剤があったよね?」
「さっき試したんですが効果がなかったんです」
退治できないまでも行動を制御できるかもしれない。
ノズルをエアコンの裏に差し入れて噴射すると蜘蛛が姿を現した。一気にかなりの
距離を移動する。
再び訪れる恐怖。
効果がないとわかっていても殺虫剤を浴びせる。浴びせる。親の敵のように。
彼奴の動きが止まり、キュッと体が縮こまった。このサイズならば捕獲可能だ。
狙いを定めカップを近づけると、蜘蛛は復活しクワッと腕を開いた。
どうやらスプレーを浴びせられたために一時的に体温を奪われていただけらしい。
カップで押さえ込んだものの収まりきれない脚が踏ん張って主張を続けている。
慎重に隙間からティッシュを押し込み完全に蜘蛛の自由を奪った。

部屋に戻るとこちらの奮闘をよそに先輩が気楽な体でテレビを観ている。
「時間かかったな。どうだった?」
「これなんだけど」
ティッシュの隙間から数本の脚が覗いている。
「うわっ、でかっ!ここ日本だよな」やはり私の先輩…同じ感想だ。
「これ、どうしたものかな?まだ生きてるんだけど」
窓から捨てたら元の部屋に戻るかもしれないし、うっかりこの部屋で逃がしたら
今度はこちらがパニックになる。
結局先輩の提案で蜘蛛はトイレに流し一件落着。

後日気になって調べてみると蜘蛛の正体は「アシダカグモ」であることが判明。
元は外来種で、ゴキブリ駆除のため人為的に輸入したとの説があるらしい。
そういえば蜘蛛騒ぎの翌日「あの後、今度はゴキブリが出て大変でした」と彼女
が言っていた。
なるほど天敵がいなくなりゴキブリが幅を利かせたという訳だ。
アシダカグモの説明にはこう続く
衛生害虫の天敵としては「益虫」であるが外見や動きを嫌う人からすると
「不快害虫」である。と。
人間のエゴが垣間見える一文である。